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満州建国大学 全国同窓会に幕 東京のホテルで開催

6月9日11時19分配信 毎日新聞

 日本が1932年に中国東北部につくった「満州国」で、国家建設を担う人材の養成機関として設立された「満州建国大学」の最後の全国規模の同窓会が8日、東京都内のホテルで開かれた。54年から各地で毎年開いてきたが、会員の高齢化が進み、活動を休止することになった。今後は卒業生の一部が集まり旧交を温める。

 建国大学は38年に満州国の首都・新京(今の長春)に開校し、45年の日本の敗戦まであった。掲げたスローガンは「民族協和」。学生は「新国家建設に尽力したい」と夢見て入学した。学費は免除され小遣いも出た。

 一学年のほぼ半数は日本人で、あとは満州、朝鮮、モンゴル、ロシア系の学生だった。各民族が交じった「塾」と呼ばれる寮生活を通じ、互いの考えや文化の違いを学んだ。戦後、約1500人の卒業生のうち一部はシベリアでの重労働を経験。日本の官界や経済界、ジャーナリズム界に進んだ人も多かった。

 同窓会長の元会社役員、藤森孝一さん(89)=東京都町田市=によると、近年は卒業生も80歳を過ぎ、同窓会につえをついたり、車椅子に座って出席する人も目立つようになった。卒業生の3分の2が死去したか行方不明という。

 最後の同窓会には韓国からも卒業生が出席。藤森さんは卒業生の家族らを含む約120人を前に「多くの塾生が亡くなり非常に残念だが、互いの違いを認める大切さを学んだ当時のことは終生忘れられない」とあいさつした。司会役の元毎日新聞論説副主幹の松本博一さん(88)=埼玉県川越市=は「異なる立場の同級生と触れ合った日々は、その後の人生に役立った。(休止は)複雑な思いだが、今後も仲間と顔を合わせたい」と語った。【工藤哲】


理想と現実の狭間で 満州建国大学、8日に最後の同窓会
2010年6月6日9時11分 朝日新聞

 日本が1932年に中国東北部に建てた「満州国」で、最高学府として設立された「満州建国大学」(建大)の全体同窓会が8日の開催を最後に幕を閉じる。卒業生の高齢化が理由。日本、中国、朝鮮、モンゴル、白系ロシアの5民族の融和という理想と、日本による実質上の統治という実態。その矛盾を卒業生たちは戦後も背負わされ、シベリア抑留や政府による弾圧などの過酷な日々を生きてきた。

 5月12日、東京・新橋のビルの一室に卒業生約10人が集まった。みな80歳以上。藤森孝一・同窓会長(89)は最後の同窓会について「建大の名に恥じぬよう、つつがなく終わらせたい」と語った。

 建大は38年、満州国のエリート養成を目的として首都・新京(現在の中国吉林省・長春)に設立。藤森さんは2期生。

 学生は各民族が交じった「塾」と呼ばれる二十数人の寮で約6年間、共同生活を送った。発言の自由が保障された夜の「座談会」では、中国人や朝鮮人学生から、満州国や朝鮮半島での日本人による差別や暴力に対する批判が噴出。藤森さんは「日本人学生は、建大が掲げる理想と現実の差に苦悩し続けた」と振り返る。

 45年の日本敗戦で建大は閉学。藤森さんら卒業生の多くはシベリアに送られ、零下30度の地で森林伐採や鉄道敷設などの労働を強制された。「同じ収容所の750人のうち108人が亡くなった。ほとんどが栄養失調だった」

 藤森さんは47年10月帰国。建大出身者は連合国軍総司令部(GHQ)の方針で公職に就けず、同窓生の紹介で工場で職を得るまでに3年かかった。53年に同窓会が結成されたが、ソ連や北朝鮮、中国の一部の卒業生の行方は今も分からない。藤森さんは「中国やロシアの卒業生は、日本の傀儡(かいらい)国家に協力したとして戦後、各政府から弾圧された。胸が詰まる思いだ」と話す。

 卒業生は各国で同窓会を開いてきたが、現在は卒業生約1500人のうち3分の2が死亡や行方不明。日本人の生存者も300人に満たない。8日の同窓会は日本人卒業生約70人が出席するほか、韓国からも代表を1人招く。

 藤森さんは「満州国は傀儡国家だったかもしれないが、我々は時代を変えようと建大に集った。『若き思い』が建大にはあった」と話している。(三浦英之)

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 〈満州国〉 満州事変をきっかけに、日本が占領した中国東北部に建てた。独立国の体裁をとりながら、実質上は日本が統治し、操り人形を表す「傀儡(かいらい)国家」といわれた。清朝最後の皇帝・溥儀を執政に迎えて建国を宣言させたが、国際連盟は認めなかった。45年、日本の敗戦と同時に消滅した。

by yupukeccha | 2010-06-09 11:19 | 社会  

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