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「ヒゲの一鶴」講談師の田辺一鶴さん死去 80歳

2009年12月22日 朝日新聞

 威勢よく扇を打ち鳴らすスタイルと豊かなヒゲで「ヒゲの一鶴」と親しまれた講談師の田辺一鶴(たなべ・いっかく、本名佐久間秀雄〈さくま・ひでお〉)さんが22日午前7時、肺炎のため東京都内の病院で死去した。80歳だった。葬儀は親族のみで行い、後日お別れの会を開く。連絡先は講談協会(03・3959・7924)。

 1954年に吃音(きつおん)を直すために田辺南鶴に入門。東京五輪の参加国をすべて読み上げる「東京オリンピック」(64年)で注目され、「イチロー物語」「高橋尚子物語」など話題の事件や人物を題材にしたユニークな新作を次々と発表。テレビなどでも広く活躍した。また初めて女性を弟子にとり、多くの女性講談師を育てた。


田辺一鶴さん死去、新作講談で人気
2009年12月23日 朝日新聞

 「ヒゲの一鶴」として親しまれた講談界最長老の田辺一鶴(たなべ・いっかく)さん(本名・佐久間秀雄=さくま・ひでお)が22日午前7時、都内の病院で肺炎のため亡くなった。80歳だった。54年に初高座を踏み、時事的な話題やスポーツを盛り込んだ型破りな新作講談で多くのファンを楽しませた。葬儀・告別式は遺族の意向で親族と一鶴一門のみの密葬で行い、後日、お別れの会を行う予定。

 一鶴さんは長年連れ添った妻と別居し、1人暮らしが続いていた。食事をあまり取らないため近年は体力の衰えが目立ち、所属する講談協会関係者が入院を勧めていたが、一鶴さんは「病院に入るのなんか嫌だよ」と断っていた。しかし、自宅で寝ていてベッドから落ちたことから11月に入院。体力を回復するために努力したが22日朝、1人息子らにみとられて息を引き取った。10月が最後の高座だった。

 一鶴さんは54年に高座デビューした。強度の吃音(きつおん)で、入門当時は田辺のタが言えなかったり、「こんばんは」のコが言えずに苦しんだ。しかし、吃音矯正と芸の習得に格闘しながら独特の話術を磨いた。64年に万国旗を使って参加国名をすべて読み上げる新作「東京オリンピック」を発表して人気を得た。大きな口ヒゲをトレードマークに、68年にはNHK「ステージ101」にレギュラー出演したのをはじめ、70年代には映画や舞台、CMに出演するなど活躍。高座で跳んだり跳ねたり派手な芸風で異端児と呼ばれ、72年にエルビス・プレスリーと共作でレコード「ポークサラダ兄ィ」を出した。

 「ほかの人がやらないことをやって、個性を出さなきゃいけない」が持論で、時事的なニュース、話題の人物を素早く取り入れたユニークな新作を数多く発表。「野茂英雄物語」「イチロー物語」「高橋尚子物語」のスポーツ講談や「田中角栄伝」「貴花田と宮沢りえ」「古賀政男物語」も手掛けた。また、講談界で初めて女性の弟子を持ち、数多くの女性講談師を育て、初の外国人講談師もデビューさせた。

 一般人対象の講談大学や妖怪講談の「記憶能力検定」を始めるなど講談界きってのアイデアマンだった。本好きで知られ、都内に芸能古書の「イッカク書店」を開き、ロサンゼルスやパリで海外公演も行った。芸能生活55周年に向け「自叙伝」を執筆していたという。「101歳まで現役が目標」だったが、その願いはかなわなかった。

by yupukeccha | 2009-12-22 23:59 | 社会  

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