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反対叫んで焼け太り

2009年10月5日22時00分 The JOURNAL

 かつて年末の予算編成の時期になると、自民党本部には地方から「陳情」のため自治体関係者や地方議員、それに業界団体などが大挙して押し寄せた。毎年の事だから自民党本部の周辺には「陳情」で上京する人たちが宿泊する地方自治体の施設があちこちにある。
 
 後藤田正晴氏が官房長官の頃、「陳情」の光景を見ながらこう言った事がある。「陳情くらい無意味なものはない。陳情で物事が決まったら日本の政治はお終いだ。物事は国家的見地に立って決められる。陳情で決まる訳がない。ところが陳情で決まると思っている連中がこれだけやってくる。無駄な事なんだがなあ」。
 
 エリート官僚である後藤田氏からすれば、政策を決めているのは官僚で政治家ではない。国民はそれも知らずに「陳情」を繰り返している。政治家はさも自分がやったかのように言って票を集めるが、それは愚かな事だと言うのである。しかし後藤田氏は「陳情」政治が我が国の官僚支配の構造の中から生まれてきた事を言っていない。
 
 昭和13年に国家総動員法を作り15年に戦時体制を確立した日本は、戦争遂行のために地方を完全に中央の支配下に置き、自立させないようにした。それは戦争のためだったが、戦争が終わっても変わる事はなかった。官僚主導の政治が戦後も続いたからである。従って自立することが出来ない地方自治体はひたすら中央政府に「陳情」するしか能がなかった。日本は国民の代表を選挙で選べる民主主義の国だから、地方は政府への橋渡し役を与党である自民党の国会議員に託した。橋渡しのお礼は選挙の票という事になる。
 
 「自立させないようにして助けを求めさせ、それを与党が助けて票を得る」。これが自民党政権下の支配の構図である。そのために地方自治体も農業も自立できない仕組みにされた。自立できない者は自民党に助けを求め、自民党は保護の名目で公共事業や補助金をせっせと地方や農家に運んだ。こうして地方や農家が自民党の票田となった。それが自民党の長期政権を支えた。議員にとってこの役目は長く続く方が良い。つまり地方自治体や農業が自立して貰っては困る。こうして次第に目的と手段とが逆転していく。
 
 ある自民党議員から聞いた話だが、地元の道路がもう少しの所でなかなか完成しない状態が一番良いのだと言う。その時が最も選挙民から頼られて色々良い思いが出来るらしい。議員の仕事はまず「陳情」された案件に少額でも良いから「調査費」名目の予算を付けさせる。それが付けば案件は既成事実化する。次は着工に持ち込む。着工しなければ中止の可能性もあるが、着工してしまえば後戻りは出来ない。ところがそこまで実現すると今度は完成しない方が都合が良くなる。予算が足りないとか何とか言って完成に時間がかかる方が良い思いが出来る。そんな事がこの国のあちらこちらにあるらしい。後藤田官房長官が批判した「陳情」の話よりも、もっと劣化した政治の実態がこの国にはあるのである。
 
 小泉政権で郵政民営化が叫ばれていた頃、総務省幹部がこう言った。「郵便局がいつまでもこのままで良いとは思っていない。民営化が時代の流れだと言われればそれを否定する積もりもない。しかし立場上我々が賛成する訳にはいかない。反対を言い続けるしかない。後はどこで手が打たれるかです」。それを聞くと総務省は民営化に反対なのではなく、最も有利な民営会社にするために民営化反対を言っている。
 
 1985年の電電公社民営化もそうだった。電電民営化は世界的な情報化社会への移行に際して、やらなければならない国家的事業である。しかし従業員25万人という日本最大の民間会社が出来る話だから、様々な利害関係者が「私益」を求めて動き出した。その前年にアメリカは大電話会社AT&Tを7分割して、競争原理を導入する体制を作った。そしてアメリカは飛躍的な電話料金の値下げに成功してインターネット社会を作り出すのである。
 
 日本も当初は分割民営化をやろうとした。しかし政界、官界、労働界の様々な「私益」がぶつかり合い、それが民営化反対の衣をまとって盛り上がり、紆余曲折の後で巨大独占企業NTTが誕生した。おかげで電話料金は下がらずにIT分野で日本は世界から遅れをとった。反対運動によって「私益」が「公益」を上回ったのである。
 
 電話料金は情報社会の「産業のコメ」である。そのコストは国の経済のあらゆる分野に波及する。誰も言わないが電話料金が下がらなかった事が日本経済に「失われた10年」をもたらした一因である。「民営化反対」が端緒になって日本経済は長い苦しみから抜け出せないでいると私は思っている。
 
 反対には「絶対に妥協出来ない反対」と「条件を有利にするための反対」とがある。圧倒的に多いのは後者の反対である。「公益」と「私益」とが対立した場合、「公益」が優先されるのはやむを得ない。しかしそれでも「私益」を守る必要はある。そこで反対をして有利な条件を勝ち取ろうとするのである。それは必要だと思うが、それでも「私益」が「公益」を上回っては困る。
 
 「社会の公器」を自称するメディアは、何が「公益」で何が「私益」かを見極める必要がある。ところが反対の言い分ばかりを紹介するメディアが多い。この国には「我々は弱者だ」と称して「私益」を守る人たちがいる。自民党政権下で野党は専ら「弱者」の味方で、自民党も「弱者」には頭を下げる事が多かった。それが税金を払わない「弱者」を生みだし、日本の政治をおかしくした。
 
 政権が代わったのだからこれからは「弱者」か「強者」かの区分より、「公益」と「私益」とを見極めて反対運動を論評すべきである。そうしないと官僚組織や労組などが得意の「反対叫んで焼け太り」を許す事になる。八ツ場ダムや公務員制度改革を巡る最近の報道を見ていると以上の事を思い出した。
(田中良紹)

by yupukeccha | 2009-10-05 03:42 | 政治  

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