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死没者80人のめい福祈る 尖閣列島戦時遭難者慰霊祭

2009/7/4 19:28 八重山毎日新聞

 太平洋戦争末期の1945年7月3日、台湾への最後の疎開船が魚釣島近海を航行中に米軍機の機銃掃射を浴びた戦時遭難事件から64年目を迎えた3日、尖閣列島戦時遭難者遺族会(慶田城用武会長)は、新川舟蔵にある死没者慰霊之碑で慰霊祭を執り行った。

 慰霊祭は読経に続き、遺族らが死没者80人を刻銘した慰霊碑の前で焼香、手を合わせて冥福を祈った。

 疎開船は第一千早丸と第五千早丸の2隻。45年6月30日、老人や婦女子180人余を乗せ、石垣港を出港した。7月3日午後2時ごろ魚釣島近海で米軍機に発見され、機銃掃射を浴びて第五が炎上沈没、第一は魚釣島に漂着。被弾したりおぼれたりして多数の死者が出たほか、魚釣島での1カ月近い生活で餓死者も出た。

 あいさつで慶田城会長は「生還者も多くの方が他界した。会員も高齢化し、慰霊祭を継続できるか心配だったが、明るい兆しもある」として、八重山農林高校が平和学習を兼ねて行った慰霊碑周辺の清掃活動を挙げ、「慰霊祭を継続することが大切。事件から学んだ教訓を後世に伝え、恒久平和の確立に寄与しなければならない」と誓った。

 石垣市からは黒島健副市長が参列、大浜長照市長のあいさつを代読した。

 会長の慶田城さん(66)は家族5人で乗り込んで遭難。兄の用典さん(当時5つ)を失った。2歳半だった慶田城さんに当時の記憶はないが、「2年前に亡くなった母親は夏の太陽を見なかった」と静かに話した。

by yupukeccha | 2009-07-04 19:28 | 社会  

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