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<朝日支局襲撃事件>「実行犯でない」 週刊新潮手記覆す

4月9日2時31分配信 毎日新聞

<朝日支局襲撃事件>「実行犯でない」 週刊新潮手記覆す_b0161323_4535487.jpg 朝日新聞阪神支局襲撃事件など一連の警察庁指定116号事件(03年3月までにすべて時効成立)で、週刊新潮に「実行犯」として手記を寄せた島村征憲氏(65)が、毎日新聞などの取材に応じ、自らが実行犯だったことを否定した。「散弾銃で撃った」などとした手記内容を覆す内容で、同誌の報道内容の信頼性が失われる形になった。

 島村氏は6日、東京都内のホテルで取材に応じた。87年の阪神支局襲撃事件については、「ヤクザ時代の舎弟ら2人(いずれも死亡)が実行犯で、元在日米国大使館員から依頼された」などとの主張はしたが、自身については「事件当時は北海道に住んでいた。実行犯ではない」と手記の内容を否定した。

 手記では「侵入した阪神支局には3人の記者がいた。2人を撃ち、テーブルの上にあった緑色の手帳を持ち帰った」としていたが、「現場を見ていないから話せるはずがない」とし、さらに「新潮記者に『島村さん、こう答えてください』と想定問答をみせられながら、録音テープの前で話した」と説明した。

 「87年1月に朝日新聞東京本社を銃撃した後、右翼の野村秋介氏(故人)に犯行声明文を作成してもらった」との内容については「(犯行声明との関連で)野村さんの名前は出していない」と涙を流し否定し、朝日新聞静岡支局爆破未遂事件に関しては「おれはバカだから爆弾なんて作れない」と関与自体を認めなかった。

 これに対し、週刊新潮編集部は7日付のファクスで「島村氏は自分が実行犯であると話してきた。この証言内容は、インタビューを録音したテープで証明できる」と説明し、「想定問答を用意したことは全くない。そのような手法を取ったことは一度もない」と反論した。【石丸整、山本浩資】




<朝日支局襲撃事件>週刊新潮手記を否定 島村氏と一問一答
4月9日2時31分配信 毎日新聞

<朝日支局襲撃事件>「実行犯でない」 週刊新潮手記覆す_b0161323_4553471.jpg 朝日新聞阪神支局襲撃事件などの「実行犯」として週刊新潮に手記を掲載していた島村征憲氏(65)が「自分は阪神支局襲撃事件当時、北海道にいて現場には行っていない」などと手記とは違う内容を話したことは、同誌の裏付け取材の不十分さを浮き立たせた。島村氏は現場の様子を同誌記者の誘導で語ったでっちあげと主張するが、編集部は全否定しており、告白者と掲載誌が対立する異例な展開になった。

 島村氏が毎日新聞に語った一問一答は次の通り。

 --朝日新聞阪神支局を襲撃したか。

 「やってない。事件当日は娘と室蘭港(北海道)に船を見に行った。しかし、実行犯のことは知っている」

 --実行犯は誰か。

 「ヤクザ時代の舎弟と若い衆にやらせたが、病気と自殺で2人とも死んだ」

 --手記には「私が襲撃した」とあるが。

 「新潮記者に『私が質問しますからこの通りに答えてください』と紙を渡され、テープで録音されながら書いてある通りに話した」

 --想定問答で実行犯と答えたのか。

 「『自分がやった』とは言っていない。『(事件の)中心人物はおれですよ』とは答えた。『おれがやったと思っているんなら、これ以上話はできないよ』と何度も言った」

 --手記は4週続いている。

 「最初の記事を見て怒り狂って記者のほおをはたいたの。『言ってもいないことを、納得できんぞ』と。だけど、引っ込みがつかなくなった。新潮には『オレのケツを持てよ(面倒をみろよ)』と注文を付けた」

 --大物右翼の故児玉誉士夫氏からもらった数珠を新潮が分析したら、犯行声明文に付着していた繊維片と同一性が高いとの記述があったが。

 「あれは、別のオヤジからもらったもの。数珠のくだりを記事で見てびっくりした。数珠を(記事に)使っていいですかと聞くことすらしないんだから。他社も騒いでいるし、これだという物証が欲しかったんだから」

 --謝礼は。

 「ホテル代と食事を提供してくれた。1回掲載につき20万円、月刊新潮45を含め計90万円をもらった」

 --後悔しているか。

 「後悔なんてもんじゃない。乗ったおれはバカだけど、乗せたやつはもっと許せない」

     ■手記の主な内容■

 私は87~88年、朝日新聞の東京本社、阪神支局、名古屋本社寮の襲撃と静岡支局爆破未遂の四つを実行した。

 犯行は在日米国大使館職員から「朝日を狙ってくれ」と依頼された。動機はカネで、大使館職員から散弾銃と実弾のほか数百万円の現金などを受け取った。

 87年5月の阪神支局襲撃では、オートバイ「ホンダ400CC」を使い、以前に主宰していた右翼団体にいた男ら3人が見張りや運転を担当した。支局には3人の記者がいた。2人を「水平二連式の散弾銃」で撃ち、テーブルの上にあった緑色の手帳を持ち帰った。赤報隊を名乗る犯行声明文は右翼の野村秋介氏(故人)に依頼し作成してもらった。

 ◇週刊新潮の手記をめぐる経緯◇

1月29日 島村氏の手記を掲載した新潮発売

      朝日新聞が「客観的事実と異なる」と記事

2月5日 手記2回目発売

  12日 手記3回目発売

  19日 手記4回目発売

  23日 朝日新聞が「虚言 そのまま掲載」との検証記事を掲載

  同  「犯行を依頼した」とされた元在日米国大使館員の男性が新潮に訂正と謝罪要求

  26日 新潮が「事件を検証できるのは警察当局のみ」とする反論記事を掲載

3月19日 元米国大使館員の男性が新潮と和解

4月1日 朝日新聞が2回目の検証を掲載。「放置できぬ虚報」と、新潮に訂正と謝罪を要求

  7日 新潮が「本人が手記を否定するかのような発言をしている」と報道機関にファクス


<朝日支局襲撃事件>「想定問答、用意せず」週刊新潮
4月9日2時31分配信 毎日新聞

 朝日新聞阪神支局襲撃事件など一連の警察庁指定116号事件(03年3月までにすべて時効成立)で、週刊新潮に「実行犯」として手記を寄せた島村征憲氏(65)が、毎日新聞などの取材に応じ、自らが実行犯だったことを否定した。

週刊新潮編集部コメント全文 

(1)実行犯否定について 島村氏は小誌の取材に対し、今日まで一貫して自分が実行犯であると話してきました。この証言内容は、島村氏のインタビューを録音したテープによって証明することができます。しかし、島村氏本人が自らの手記を否定するかのような不可解な発言をしていることが明らかになったことにより、週刊新潮編集部は手記を載せるに至った経緯等について、4月16日発売号に記事を掲載致します。

(2)取材手法について  島村氏のために「想定問答」を用意したことは全くありません。また、そのような取材手法を取ったことは一度もありません。小誌の取材に対する島村氏の証言は記事に掲載した通りです。この証言内容は、島村氏のインタビューを録音したテープによって証明することができます。

(3)便宜提供について  島村氏の宿泊場所を用意したのは事実です。連載が終了するまでの間は、連日の取材のためであり、連載終了後は、追跡取材のためにそのような措置をとりました。記事の原稿料として、1回につき20万円を支払ったのは事実です。


<朝日支局襲撃事件>証言裏付け、ほぼ無理
4月9日2時31分配信 毎日新聞

 島村氏は毎日新聞の取材に対しても「舎弟と若い衆に襲撃させた」と朝日新聞阪神支局襲撃事件に関与したことを強調するが、その証言の信ぴょう性を解明することは無理に近い。

 「共犯」の舎弟と若い衆は既に死亡。「犯行を元在日米国大使館職員から依頼され、約5000万円の振り込みがあった」と話すが、肝心の通帳は「見当たらない」。当の元職員は毎日新聞の取材に「事件当時は島村氏を知らなかった。電話のやりとりはあったが、直接会ったのは09年1月が最初」と証言を全否定する。島村氏は、元職員と直接会うことにも難色を示す。

 新潮は島村氏の話を信じたとみられるが、どれだけの裏付け取材をし、どの程度の確信を持って手記を掲載したのか、明らかにすべきではないか。事件の究明は報道機関にとって重要な役割で、新潮が未解決事件に取り組んだことは評価できるが、これからは「信じた根拠」を公にする必要がある。

 未解決事件を巡っては、約10年前にも東京都府中市で68年に起きた3億円事件の犯人と名乗る男性が週刊誌で告白し、別の週刊誌が信ぴょう性を否定する騒ぎがあった。未解決事件の週刊誌報道の中には「関係者が死亡した」として、捜査機関さえ裏付けが取れない記事も散見される。阪神支局襲撃事件で殺害された小尻知博記者(当時29歳)の遺族の苦悩を考えれば「島村氏のテープがあるから真実だ」などの中途半端な言い訳では済まされない。【石丸整】


文春に「実行犯じゃない」、朝日支局襲撃告白の島村氏
4月9日3時8分配信 読売新聞

 1987年5月の朝日新聞阪神支局襲撃事件などを巡って、週刊新潮が「実行犯」を名乗る島村征憲氏の手記を連載した問題で、島村氏が「自分は実行犯じゃない」と語ったとする記事が、週刊文春4月16日号(最も早い地域で9日発売)に掲載されることがわかった。

 朝日新聞が連載を「虚報」として訂正を求めるなど信ぴょう性への疑いが深まる中、週刊新潮が、どのような裏付け取材を経て手記の掲載に踏み切ったのか、今後の説明が注目される。

 4回にわたって手記を連載した週刊新潮は、島村氏が阪神支局襲撃直後に、支局内から緑色の手帳を持ち去ったとしたことや、犯行声明文の作成を右翼団体の元会長(自殺)に依頼したと証言したことなどを、犯人しか知り得ない「秘密の暴露」にあたるとしていた。

 これに対し、週刊文春の記事では、島村氏は、阪神支局襲撃は配下の若者2人に実行させたと主張。自分は現場に行っていないため、手帳を持ち去ったなどと話せるわけがないとした上で、犯行声明文の作成を依頼した事実も否定している。

 こうした週刊文春の記事について、週刊新潮編集部は8日、「島村氏は小誌の取材に対し、一貫して自分が実行犯だと話してきた。証言内容はテープに録音している」と回答。一方、発行元の新潮社の佐藤隆信社長は、裏付け取材が十分だったかや同社の経営責任について、読売新聞の取材に「編集部に任せている。ノーコメント」と語った。

 同誌の元編集次長でジャーナリストの亀井淳氏は「問題は、島村氏の証言をテープに録音しているかではなく、証言が真実かどうか裏付け取材をしたのかということ。島村氏の証言が揺らいでいる以上、週刊新潮は取材経緯を検証し、問題点があれば明らかにする責任がある」と話している。


新潮、襲撃手記に90万円 証言者「記事はうそ」と主張
2009年4月9日3時2分 朝日新聞

 朝日新聞阪神支局襲撃(87年5月)など一連の本社襲撃事件の実行犯として、週刊新潮が「告白手記」を掲載した島村征憲氏(65)が8日、朝日新聞の取材に応じ「週刊新潮から90万円を提供された」と明らかにした。島村氏は「私は実行犯でない。新潮が作ったストーリーに乗せられた。(記事は)うそだ」とも述べた。同誌編集部は金銭提供の事実を認めたが、ストーリーを作ったとする島村氏の主張は否定した。

 島村氏名義の銀行口座の預金通帳には、同誌発行元の新潮社の名義で4回、計70万円の振り込みの記載があった。島村氏は「ほかに現金で20万円を受け取った」と話した。

 週刊新潮は島村氏の「手記」を4回掲載し、月刊誌「新潮45」も島村氏の証言をもとに記事を1回掲載した。島村氏は「週刊誌は記事1本で20万円、新潮45は10万円。計90万円もらった」としている。同誌が手配したホテルなどを転々としながら取材を受けたという。

 島村氏はインタビューで、「事件当時は北海道にいた」として事件の実行犯とする「手記」の内容を否定。一方で「(手下の)若い衆に襲撃させた」「真犯人を知っている」などと新たな主張を展開した。朝日新聞は手記には事実と異なる点が数多く、真実性はないと断定している。島村氏の説明が不自然に変遷していることから、新たな主張に対しても信頼性がないと判断している。

     ◇

 週刊新潮編集部の話 (現金は)原稿料として振り込んでいます。島村氏は小誌の取材に対し、これまで一貫して、自分が実行犯であると話してきました。この証言内容は、島村氏のインタビューを録音したテープによって証明することができます。「ストーリーができていて、それにのせられた」との島村氏の証言は事実ではありません。手記を載せるに至った経緯等について、4月16日発売号に記事を掲載いたします。

by yupukeccha | 2009-04-09 02:31 | 社会  

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