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龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ

軍国主義に利用された過去も。買ってな使い方はもうやめよ
2010年10月5日 朝日新聞

 NHKの「龍馬伝」で、福山雅治さん演じる坂本龍馬はとても魅力的だ。龍馬は今年の「上司にしたい偉人」「お酒を一緒に飲みたい歴史上の人物」でもトップだという。だが、この幕末の風雲児と同郷の精神科医・評論家の野田正彰さんは、龍馬人気に疑問を投げかける。(聞き手 編集委員・刀祢館正明)

 ──坂本龍馬はなぜ、こんなに人気があるんでしょうか。

 「龍馬とは青春像そのものです。30代前半で暗殺されてしまって、中年以降がない。もし龍馬が明治維新後も生きていたら、時代を切り開く若々しいイメージを投影することは難しかったことと思います。三菱財閥をつくった岩崎弥太郎にこういうイメージを持つことは無理でしょう。政商としても活躍しましたから。ほかの明治の元勲も同様です」

 「でも、本当にそんなに人気があるんですかねえ。企業経営者には好きな人がいますね。ダイエー創業者の故・中内功さんは、高知県にゆかりがあるということもありますが、龍馬の像をいっぱい置いていた。創業経営者や企業家には、龍馬にあこがれるという人が多いようです」

 ──脱藩した自由人、時代を見すえた先見性、薩長同盟や船中八策、大政奉還の提言など日本全体を再設計する大胆な構想力。やりたくても出来ることではありません。私だってあこがれます。

 「あなたの言う自由、先見、大胆。それを私は青春という言葉に込めています。ありえたかもしれない、願望としての青春です。しがらみを離れて理想像を描き、実行するだけの力がある時期ですね。自由な発想で生きていくことができる。中年以上の成長した経済人がそういう青春像を結ぶのに、龍馬は適当なのだと思います。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』のイメージにもつながるでしょう」

 「日本の企業経営者が好きな、座右の銘ともいえる詩があります。アメリカの詩人サムエル・ウルマンの『青春』です。『青春とは人生の一時期ではない、青春とは心のあり方である、志の高さであり、思いの質であり、生き生きとした感情であり、人は年を重ねるだけでは老いはしない。ただ理想を失うことによって老いるのである』。概略、こういう内容です。まさに龍馬でしょう。会長室や社長室に飾ってあるのをよく見ました。日本経団連の大好きな詩です」

* * *

 ──いつまでも龍馬のように若々しくいたい。それはいいことなのでは?

 「いえ、成熟拒否です。本来、人は年齢を重ねるとそれなりに成熟していかないといけない。なのに青春像にしがみつくのは、申し訳ないですが、人格的に未熟だからです。なぜ経営者は成熟の歌を自分の部屋に飾らないのか。彼らが龍馬にあこがれるとしたら、それは龍馬という青春にこだわることであり、幼稚さの表れでしょう」

 ──NHKの大河ドラマ「龍馬伝」をどうみますか。

 「土佐、江戸、京、長崎と、なんであんなに行く先々で美人の女性にモテさせるんだろう、と思います。番組の人気作りのためですかね」

 「それはともかく、龍馬の業績に大筋は乗っているように見せて、内容はフィクションだらけ。いくらなんでも、こんなことをやってはいけません」

 ──どういうことでしょうか。

 「龍馬は、長崎の英国人商人グラバーと親しくし、武器を大量に買いつけました。それなのに、ドラマの中で何度も登場するせりふに『列強は日本を植民地化しようとしている、だから幕府を倒さないといけない』というのがあります。これは変でしょう」

 「知り合いの歴史学の専門家に、龍馬が植民地化への危機感を持っていたという文書はありますかと聞いたら、ないと言うんですね。ならばうそということになる。うその語りをずっとさせている。番組を通じて、国民にある種のメッセージを発したいのでしょうか」

 ──でも、ドラマです。見ている方もわかっているのでは。

 「ドラマだからといって、何をやってもいいはずはない。歴史学の知見や実証的にわかっていることと大きく違うことは、作ってはいけません。特に映像は、人の記憶に蓄積して感情を喚起する力が強いですから。地元紙の記者に聞いたら、高知では『史実と違いすぎる』と冷めているそうです」

 ──龍馬というイメージ、フィクションが利用されてきたと主張されていますね。

 「龍馬は開かれた世界を志向したし、後の自由民権運動につながる系譜があった。でも、これは強調しておきたいのですが、軍国主義に利用されたことを忘れないでほしい。明治に入って、龍馬はいったん忘れられた。それが、日露戦争(1904~05年)の際、皇后の夢枕に龍馬が現れて、『露国と海戦となれば、魂は我が海軍の将卒に宿って日本を守る』と言ったという話が新聞で広がった。土佐出身の宮内大臣、田中光顕から出た話です」

 「坂本龍馬というイメージが過去にどう利用されてきたかをちゃんと知ってほしい。小説やドラマで都合のいい部分だけを切り取ったり、危機の時代になるとナショナリズムをあおるような形で、フィクションもないまぜに語られたりする。今もそうではないですか」

* * *

 ──政治家や企業人にも、自分を龍馬になぞらえる人がいます。精神病理学者として、歴史上の人物をモデルにしたり、自分と重ね合わせようとしたりすることをどうみますか。

 「よくないですね。戦前の日本は、国家が偉人を盛んに宣伝した。偉人をモデルにして、今の言葉で言えばアイデンティファイ(自己同一化)して生きる。それが素晴らしい生き方だとされた。でも、これでは人格が分裂するんですね。理想化した人物と世俗的な自分の生き方が、一人の人間のなかでファンタジーのまま共存する。人格の自然な統合ができません」

 ──高知出身の先生が龍馬に否定的なことを言って、大丈夫ですか。

 「土佐で龍馬を否定的に言う人に会ったことがありません。私も龍馬本人を否定的には思っていません。思う必要もないですから。ただ、勝手な使い方には『いいかげんにしてくれよ』と言いたくなります。

* * *

取材を終えて 今回のインタビューは、少々つらかった。実は私は龍馬愛好家の末席にいる。「竜馬がゆく」は浪人時代から3回読み、「龍馬伝」は毎週2度ずつ見ている。この原稿もドラマのCDをかけながら書き、おかげではかどった。「龍馬」は疲れた中年男を元気にしてくれる、こころの栄養剤だな、と思う。

 その龍馬が、軍国主義やナショナリズムの鼓舞に利用されていたとは……。もう、未熟な龍馬好き、ではいられない。

* * *

坂本龍馬

 1835年~67年。土佐藩(現在の高知県)の郷士の家に生まれた。62年に脱藩、江戸に出て幕臣・勝海舟に弟子入りした。その後長崎で貿易商社「亀山社中」を組織した。66年、薩摩藩と長州藩の同盟を仲介。翌年には上京の船中で、幕政の返上や議会開設など8カ条の新国家構想「船中八策」を書いた。これは維新政府の「5カ条の誓文」に通じるとされる。さらに徳川幕府から朝廷へ政権を返上させる「大政奉還」に尽力したが、京都で暗殺された。
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by yupukeccha | 2010-10-05 06:00 | 社会  

「つくられた龍馬」にだまされないヘソ曲がりになる

週刊金曜日

 源義経、織田信長、そして坂本龍馬――歴史上の「ヒーロー」に共通するもの。それは「非業の死」や「無念の死」だ。志半ばで斃れることで、一気に伝説化する。秀吉や家康を演じるのは主として個性的な俳優だが、先の3人はイケメンタレントの場合が多い。悲劇をもとにドラマ性を追求するからだろう。

 NHKの『龍馬伝』が予想以上の視聴率を稼いでいる。現存する写真と福山雅治ではかなり違うが、まあ、そんなことはどうでもいい。所詮は大河ドラマ。そう割り切ってはいたものの、大型書店で『坂の上の雲』とともに龍馬本がうずたかく積まれているのを見ると、いささかざわざわとした気分に襲われる。

 英雄不在の時代。これだけ画一的な教育が行なわれ、横並びの美徳が蔓延しては、どこか突出した傑物が出現する余地は極めて少ない。歴史上の人物やアニメの主人公に夢を託すのは必然の流れだ。そして、それを悪利用する輩が必ず出てくる。

 本誌今週号は、「龍馬大絶賛」に水を差す特集を展開した。歴史をひもとけば、幕藩体制維持派と倒幕派の権力闘争に参加した一人にすぎないともいえる。また武器商人の一面もある。国を憂い国を思う純粋な革命志士なのか、利にさとい商売人なのか、判断に迷う人物というのが実態だ。

 だが、『坂の上の雲』の秋山兄弟もそうだが、龍馬は私利私欲のない英雄として描かれる。その先には、「明治時代はよかった」「あのころの日本に戻ろう」「世界の超一流国を目指そう」という路線が敷かれている。一歩、間違えれば「大日本帝国の夢よ再び」になりかねない。

 話がずれるが、漫画『島耕作』の変質ぶりは凄まじい。課長くらいまではサラリーマン社会の悲哀がそこそこ描かれていたが、社長に就任したいまは、新自由主義の先兵と化している。とともに自民党のスポークスマン役を買っている。ここまでくると「漫画のことだから」と看過するわけにもいかない。

 龍馬に戻るが、原稿依頼しても「関心がない」と何人かの方に断られた。中には「龍馬は嫌いではない」という人もいた。確かに革命家の匂いはもっている。実は、私も心のどこかで「つくられた龍馬」を受け入れたりしている。だから、少しはヘソ曲がりにならないと、ついつい騙されてしまう。(北村肇)
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by yupukeccha | 2010-02-13 23:59 | 社会  

「東洋のマタ・ハリ」やはり処刑? 台湾で公文書発見

2010年1月22日19時19分 朝日新聞

 【台北=野嶋剛】戦前の中国大陸を舞台に旧日本軍スパイとして暗躍、「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子(中国名・金璧輝)を国民党政権が1948年に死刑にした際の確認公文書が、台湾が保管する当時の公文書の中からこのほど見つかった。

 川島芳子をめぐっては、処刑に替え玉が使われ、実は生存していたという説が根強くあった。だが、今回の公文書は、死亡説を補強する論拠になりそうだ。

 川島は中国清朝の王女として生まれ、日本の大陸浪人、川島浪速の養女になり少女時代を日本で過ごした。成人してからは中国大陸の日本側の特務機関で情報活動に従事。満州国建国や上海事変などにかかわった。「漢奸(売国奴)」として45年に北京で逮捕され、死刑判決を受け、48年3月25日に銃殺された。

 しかし、直後から「別の女性が金のネックレスと引き換えに替え玉になった」とのうわさが流布。知り合いだった故笹川良一氏も「遺体は別人」と語ったとされ、最近も「彼女を見た」といった証言が相次ぐなど、川島芳子の生存は歴史ファンの間で一種の伝説のように語られてきた。

 川島を逮捕した当時の国民党政権は処刑の翌49年に共産党に敗れ、中国大陸から台湾に敗走。この際、公文書も台湾に運ばれていた。

 昨年になり、台湾法務部(法務省に相当)が、刑務所行政の史料集を編集する作業中に、文書を総統府の研究機関「国史館」の資料庫から見つけた。川島の処刑1カ月余り後の48年5月17日、当時の国民党政権の司法行政省が、死刑判決を下した河北高等裁判所に事実関係の調査を指示したことが分かる内容で、指示は当時すでにあった生存説を受けたものだった。

 これに対し、刑を執行した何承斌・検察官は「彼女は国際的なスパイで顔を知らない者はいない。遺体は刑務所の外にさらされ、自由に写真も撮らせた。死刑囚は金璧輝(川島)に間違いない」と供述していた。

 川島を収容した北平第一刑務所の呉峙ゲン(ゲンはさんずいに元)所長も「死刑執行は検察官の身分検査と遺書確認の後に一撃で絶命させ、検察官が3回検視して死亡確認した」と証言した。遺体は処刑当日の午後、「日本人僧侶の古川大航が埋葬した」という。当時中国で戦没者の慰霊に努めた臨済宗の僧侶、古川大航氏(1871~1968)と見られる。

 このため、河北高裁は48年6月12日、調査結果をまとめた司法行政省への返答で「替え玉説は中傷で絶対にあり得ない」と結論づけている。
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by yupukeccha | 2010-01-22 19:19 | アジア・大洋州  

「2000年代」 英語でどう呼ぶ 残り数日…米で議論続く

2009年12月28日 朝日新聞

 【ワシントン=勝田敏彦】今年もあと数日。2000年から始まった00年代が終わることになるが、米国ではこれをどう呼ぶべきかが議論になっている。今のところ決まった呼び方がなく、「命名できないまま終わってしまうのではないか」との「危機感」も広がっている。

 英語では、1980年代を「Eighties(エイティーズ)」、90年代を「Nineties(ナインティーズ)」と呼ぶのが一般的。しかし、00年代は呼びにくく、命名のあり方について20世紀半ばから議論があった。

 米タイム誌によると、「Zeroed(ゼロズ)」、「Double O's(ダブル・オーズ)」、「2Ks(トゥーケーズ)」などが提案されているが、決定打にはなっていない。

 また1900年から09年にかけての10年を、ゼロを意味する単語「aught」を使って「Aughts(オーツ)」と呼んだことがあるため、これを転用するアイデアもあるが、つづりがやや特殊でもあり、定着しなかった。

 残された時間は少ない。

 米紙ワシントン・ポストは「この際、球場の命名権を売るみたいに、『00年代』を命名する賞金つきのコンテストを実施してはどうか」というイリノイ大の言語学者デニス・バロン教授の提案を紹介している。
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by yupukeccha | 2009-12-28 06:00 | 社会  

「過熱する龍馬に寄せて」 隠されていた「軍国土佐」 ブームに潜む危うさ

野田正彰(関西学院大学教授、高知市出身)
2009.12.04 高知新聞 

 もうすぐNHKの連続大河ドラマで「龍馬伝」が始まる。龍馬は28歳(1862年)で脱藩し、京都、大阪、江戸、神戸、下田、福井、長崎、鹿児島などを行き来し、33歳(1867年)で保守勢力のテロに倒れた。あまりにも短い、だが青年から壮年期へ駆け抜けていった人生は、人びとが若さや情熱に憧れるとき、モデルになりやすい。彼が長生きし、政治や実業において紆余曲折をへていれば、後世の人々は自らのあり得たかもしれない奔放で開明な青春の幻想を投影する対象にならなかったであろう。

 龍馬はいつも、「第二、第三の龍馬出でよ」として語られる。19歳で剣道修行のために初めて江戸に出、河田小龍(中浜万次郎の聞き書きを著した)、勝海舟、横井小楠ら、これぞと想う先輩の懐に飛び込み、自己啓発をしていった。それは永い年月をかけた学識、思慮ではなく、手の届きそうなところにある理想像である。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』も、そのような龍馬像を利用した。今再び、視聴率のさらなる上昇を願うNHKが、手の届きそうなところにある理想像を利用しようとしている。

 すでに、高知と長崎での龍馬利用は過熱している。NHKでの連続放送による人気を予期し、それを利用して観光ブームにつなげようとする企画は目白押しである。長崎市は龍馬の道、亀山社中への道を整備し、龍馬の幟(のぼり)を連ね、高知の龍馬から長崎の龍馬へ、お株を奪おうとしている。長崎に少し遅れたかに見える本家高知市、高知県も、龍馬観光作りに追い込みをかけている。さらに、東京の宣伝会社が龍馬を利用して観光ブームを作りたいと熱望する高知人の心理をくすぐり、龍馬企画を売りこんでいる。作られた手の届きそうなところにある理想像は、司馬によって利用され、さらにNHKによって利用され、さらに高知や長崎によって利用され、その利用しようとする心向けが東京の広告会社とそれに群がる文化人によって利用されようとしている。

 1968年の明治維新百周年に始まって徐々に、とりわけ80年代後半より、高知県人は坂本龍馬を消費してきた。空の玄関は高知龍馬空港と改名され、写真撮影の黎明期、上野彦馬の写真館で撮られた龍馬の写真は標章(エンブレム)となって、龍馬グッズとして溢れている。飾り台にもたれ、遠くを見つめる肖像は、若さ、希望、文明開化の象徴である。噛んでも噛んでも噛み尽くせぬ、食べても食べても食べ尽くせぬ龍馬像であるとしても、それを消費し続けている高知人は幻想の青年期に足踏みしていることになりはしないか。

 龍馬が生きていれば、どうなったか。彼の「船中八策」には、後の自由民権運動に発展する思考――「上下議政局を設け議員を置きて万機を参賛せしめ万機宜しく公議に決すへき事」と、国権を強化し朝鮮・中国へ出て行こうとする構え――「政令宜しく朝廷より出つへき事」、「海軍宜しく拡張すへき事」、「御親兵を置き帝都を守衛せしむへき事」など、二つの方針がより合わされている。

 その後の土佐は征韓論(後者)をへて、立志社を興し、言論(前者)によって政治を動かそうとした。その卓越した思想家は植木枝盛であった。彼は龍馬と同じく、板垣退助ら優れた先輩の懐に飛び込み、福沢諭吉などの明治啓蒙思想家の講義を聴き、彼らを超えて市民思想を創っていった。18歳で、「高知新聞」に部落差別を非難する投書を出している。人権の不可侵を強調し、男女同権を説き、市民の抵抗権、革命権、死刑の廃止、国籍離脱の権利を明文化した日本国国憲案を作り、万国共議政府(国連)と国際法による世界平和の実現を構想した。だが自由民権運動は弾圧され、10年後の1880年末には力を失い、枝盛も1892年、36歳で急死した。

 以後半世紀をこえ日本敗戦まで、天皇制君権主義を否定した自由民権運動は知ることさえ許されなかった。例えば土佐中学を出た呉服孝彦は枝盛の著作を出版しようとして、警察に迫害され、26歳の若さで自殺(1938年)したといわれている。

 自由民権から天皇制軍国主義へ、高知県はその振幅の最も大きかった県である。封建大名であった山内家は土佐の子弟を軍人にするため海南中学(現・小津高校)を創り、卒業生の多くを陸軍士官学校、海軍兵学校へ送り込んだ。小さな県(現在の人口も80万たらず)で、これほどの将官を出したところはないであろう。太平洋戦争開戦時のシンガポール攻撃、フィリピンにおける敗戦時の司令官、山下奉文(ともゆき)陸軍大将は土佐の山里の人である。彼の軍隊はシンガポールで華僑を大量虐殺、マニラ防衛でも無数の市民を虐殺した。敗戦直後の陸軍大臣、下村定(さだむ)大将も高知市の人である。開戦時の軍令部総長であり、フィリピンのレイテ戦で神風特攻機による攻撃を始めた日本海軍の最高責任者、永野修身(おさみ)元帥も高知市の人である。『高知県人名事典』を開くと、大将、中将、枚挙に暇(いとま)がない。将官だけでなく、徴兵された兵士は攻撃的な軍隊となって中国侵略を支えた。

 龍馬が活動した十数年に比べて、遙(はる)かに永い半世紀をこえる軍国主義の時代がある。にもかかわらず、高知県人に軍国土佐について尋ねるとほとんど知らない。政治的に隠されている。龍馬のロマンから一直線に、今日の高知へつづいているわけではない。封建士族の心情は軍国土佐に継承され、国家権力の強化によって一身を確立しようとする権威主義、上下のタテ関係、立身出世、狭い秩序のなかでの几帳面さは戦後の高知文化にも流れ続けてきた。敗戦後、かつての自由民権運動のように涌きあがった民主主義を暴力的に抑圧していったのも、底にひそんだ尚武保守の伝統であった。戦後の進学出世の風潮にもつながっている。

 NHKの時代ドラマは作り話である。フィクションによって感情を沸きたたせ、歴史を歪(ゆが)めて見てよいものではない。土佐人こそ、近代高知の歴史を直視し、過去を克服する位置にある。龍馬の精神は自国民向きの語りを止めることを求めているのではないか。
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by yupukeccha | 2009-12-04 18:52 | 社会