物言う檀家と切磋琢磨しないと

朝日新聞 2010年10月7日

 「お葬式」や「終活」についての本があふれ、「葬式は、要らない」という本まで出た。葬祭業者や僧侶に対する不満がその根底にあり、共感する人が増えてきたからか。今までは何を言っているのか分からぬお経に付き合わされ、業者の決めた順番に従って進行し、終わった途端に途方もない請求書が回される、そういうことがまかり通ってきた。

 しかし、そのようなやり方も終焉を迎えようとしている。「物言う株主」と言われたが、今「物言う檀家(門徒)」が出てきた。自分の人生の最終を締めくくる儀式をつかさどる人(僧侶など)が心から信頼できなくては任せる気にもなれまい。

 業者は選べても僧侶は選べない。現在は家の宗教であって個人の宗教ではないからだ。檀家制度という遺物で縛り競争原理をなくしている魅力のない寺。釈尊は、死後の事にかかわるより、死ぬまでの生き方を学ぶことを大事にされた。生き生きとした仏法を伝えなければ忘れ去られる。私自身も魅力がなければ檀家さんも離反する。切磋琢磨しかない。
僧侶 池上 寛道 (福岡県八女市 62)
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by yupukeccha | 2010-10-06 06:00 | 社会  

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