元日ハム監督の大沢啓二さん死去 張本さん「悔しい」

2010年10月7日13時11分 朝日新聞

 プロ野球のロッテや日本ハムの監督を務め、「親分」の愛称で親しまれた大沢啓二(おおさわ・けいじ、本名昭〈あきら〉)さんが7日、胆嚢(たんのう)がんで死去した。78歳だった。

 神奈川県出身。神奈川商工高から立教大を経て1956年に南海(現ソフトバンク)入りし、外野手として59年の日本一に貢献した。65年、東京(現ロッテ)に移籍し、同年引退。通算988試合、501安打、17本塁打。71、72年にロッテ監督を務め、76年からは日本ハムを率いて81年に日本ハムとして初のパ・リーグ優勝。84年に退いたものの、93、94年にも指揮を執った。監督としては通算13年で725勝723敗99分け。

 プロ野球OBの中心としてマスターズリーグ設立にも尽力。べらんめえ口調で辛口の評論家として人気を集めた。日曜朝のテレビ番組では、張本勲さんとのコンビで、スポーツ界の話題を「あっぱれ」「喝」と小気味よく評じていた。タレントの大沢あかねさんは孫。

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 張本勲さんの話 びっくりした。大沢さんは身内みたいで、本当の兄みたいな存在。数日前にお見舞いしたときは元気そうだったのに。50年以上の付き合い。最初はチームが敵同士だったけど、同じ外野手で意気投合した。テレビでも長く一緒に出させてもらった。悲しいよりも、悔しいです。 

 立大の後輩、長嶋茂雄・巨人元監督の話 悲しみと寂しさでいっぱいです。大学時代もプロに入ってからも、気さくに声をかけていただいた頼もしい先輩でした。近年はテレビなどを通じて、選手たちを叱咤(しった)激励されるお言葉が印象的でしたが、野球に対する熱いお気持ちは現役時代とお変わりないと感じておりました。ご冥福を心よりお祈りいたします。

 王貞治・ソフトバンク球団会長の話 日本シリーズで対戦した時、守備位置を頻繁に変える魔術師のような選手といった第一印象でした。データ的なものを先取りした守備の位置取りは、新鮮であり、頭脳的でした。

 引退後は、監督を務め、選手経験者としてフロント入りし、その後もプロ野球OBクラブ理事長などを歴任し、常に野球界の先頭に立ち続けた、現在のプロ野球界の礎を作ったうちのお一人でした。まだまだ私たちと一緒に野球を語り、野球の普及にお力を貸していただきたかっただけに、残念でなりません。心よりお悔やみ申し上げます。
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by yupukeccha | 2010-10-07 13:11 | 社会  

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