「銀行は木村そのもの」 カリスマが食べた“禁断の果実” 振興銀事件

7月15日1時6分配信 産経新聞

 強烈な個性で日本振興銀行に君臨してきた“時代の寵児(ちょうじ)”に14日、司直のメスが及んだ。銀行法違反(検査忌避)容疑で警視庁に逮捕された前会長の木村剛容疑者(48)。かつては「金融改革の旗手」ともてはやされ、華麗な経歴と人脈を誇る理論派として知られていた。金融検査の厳格化を主張し、振興銀も「日本一厳しいガバナンス体制」と自画自賛。だが、皮肉にも金融検査を妨害したとして容疑者の立場に墜ちた。カリスマ経営者は、どこで道を踏み外したのか-。

 ●独演会

 「みそぎを切れ!」

 オールバックの髪に、メガネの奥の細い目。木村容疑者は机をたたいて部下を叱責(しっせき)した。

 毎週土曜日午前9時、東京都千代田区の日本振興銀行の本社会議室で開かれる執行役会の風景だ。「みそぎを切れ」は木村容疑者独特の表現で、「責任を取れ」という意味。「融資審査はもちろん、『カラーコピー機を使うな』という細かいところまで口を挟み、ミスを見つけては責任を取れと詰め寄った」(元幹部)。

 振興銀は、取締役会の過半数が社外取締役として経営監査を担当し、日常の業務は執行役と呼ばれる役員が取り仕切る。執行役会はいわば、振興銀を動かす最高意思決定機関だ。

 元役員によると、木村容疑者は社外取締役だった開業直後から、堂々と執行役会に出席。楕円(だえん)形の机に執行役約10人がずらりと座る中、“上座”に陣取った。

 執行役会は木村容疑者のワンマンショーと化した。会終了後は、木村塾と称した経営哲学を語るセミナーを開催。夕方まで付き合える“辛抱強い人物”が行内で重用された。

 元執行役はいう。「振興銀は『木村銀行』と揶揄(やゆ)されたが、実態は木村そのものだった」。

 ●「素敵な商売」

 「竹中平蔵のブレーン」「小泉純一郎の金融指南役」。木村容疑者が時代の寵児となったのは8年ほど前のことだ。

 昭和60年に東京大学経済学部を卒業し、日本銀行に入行。平成10年に金融コンサルティング会社を立ち上げた。竹中平蔵金融・経済財政担当相(当時)と親しく、14年に金融庁の「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」のメンバーに抜擢(ばってき)され、金融庁顧問にも就任。金融機関に厳格な不良債権処理を要求する姿は、大手行幹部を震え上がらせた。

 木村容疑者が「日本振興銀行構想」をぶち上げたのは15年8月。「メガバンクから閉め出されてくる中小企業に貸し出せばいい。いま、銀行業ほど素敵(すてき)な商売はない」。木村は同年に書き下ろした自著『金融維新』でこう記している。

 16年4月、木村は「素敵な商売」を立ち上げる。社外取締役に就任し、「経営執行業務については所管しない」(同『金融維新』)立場だったが、徐々に支配の色合いを強めていく。

 「木村支配」を象徴する一つが、「ルールブック・オブ・ザ・ゲーム」という自身が作成した社内規約。サッカーファンの木村容疑者は店長を「J1」、店長候補を「J2」と呼び、毎月業務成績によって入れ替えをした。担当の融資先がデフォルト(債務不履行)に陥ると、融資額の10%を給料から差し引いた。

 「彼にとって銀行経営はゲーム感覚だったのかもしれない」。元執行役はそうつぶやいた。

 ●禁断の果実

 19年3月期決算で黒字は達成したが、大手行や地銀が中小企業向け融資を拡大し、貸出先確保が困難になりつつあった。

 焦った木村は、側近中の側近だった元執行役、関本信洋容疑者(38)とともに“禁断の果実”を口にし始める。商工ローン大手、SFCG(旧商工ファンド)などからの債権買い取り取引だ。手数料収入で潤うことから事実上の融資に当たるが、「見せかけの実績だけ伸ばすトリッキーな手法」(都銀幹部)といえた。

 「大丈夫だ、大丈夫だ」。木村容疑者と関本容疑者は方針に疑問を抱く役員らにこう繰り返した。元執行役は「中小企業向けという銀行設立の目的を捨てた瞬間だった」と振り返る。結局、取引の一部は金融庁に問題視され、検査の際の関連メール削除という妨害行為につながった。

 不正にまみれた振興銀は再生できるのか。別の元執行役はこう語った。

 「『50万円あれば今月を乗り越えられる』という中小企業はたくさんある。こうした小口の取引は大手にはできない。まだまだ活躍できる場面はあるので、人心を一新して難局を乗り切ってほしい」

 「木村銀行」から「中小企業を救う銀行」へ。当初の理念に立ち返る姿を元役員らは求めている。
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by yupukeccha | 2010-07-15 01:06 | 社会  

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