日本を夢見たキルギス女性 騒乱後、消息途絶える

2010年7月2日 朝日新聞

 今春、民衆蜂起で大統領が追放された中央アジアのキルギス。先月末の国民投票でやっと新しい政権が承認されたが、民族間の対立が衝突に発展し、不穏な空気が残る。そのキルギスの首都ビシケクに、流暢な日本語を話し、日本人そっくりな20代前半の女性が住んでいた。グリザット・アラゾバコーワさん。だが、最近の混乱の中、彼女の消息は途絶えたままだ。(関根和弘)=文中敬称略

◇大学で言語学び、祖国の日常紹介

 2007年秋にモスクワで開かれた旧ソ連圏の大学生らの日本語スピーチコンテストに、グリザットはキルギス代表としてやってきた。日本人によく似ている、キルギス系住民の典型的な顔立ちだ。

 達者な日本語を話す各地からの代表の中でも、グリザットの実力は目立った。「キルギスにいらっしゃい」と題し、日本人にほとんど知られていないキルギスの現実をよどみなく説明した。

 「イスラム教徒は多いけど、セクシーな格好をしている女性もいますよ」と、笑いも誘った。将来は日本でアイドルデビューし、祖国を案内する番組に出演するのが夢だ、と締めくくった。

 彼女は実は日本に留学したことすらなかった。大学の4年間、日本人の講師から学んだだけだった。それでも、スピーチコンテストでは2位になり、賞品として日本行きの航空券を贈られた。

◇日本旅行に感激

 08年、記者はキルギスを訪れた際、グリザットと再会した。ビシケク近郊にあり、かつてのシルクロードを通って玄奘(三蔵法師)が訪れたとされる遺跡や、ビシケクから東に百数十㌔にあって、背景に天山山脈がくっきりと見える「イシク・クリ湖」などを案内してくれた。

 ビシケクの街並みも歩いた。高層ビルはほとんどない。だが、果物や肉、乳製品、穀物など、何でもそろう大きな市場が活況だった。街中を走るタクシーは日本車が多く、運転手は、いかに日本の車や電化製品が素晴らしいかを語る。

 グリザットは、前年のスピーチコンテストで2位入賞して実現した日本旅行の思い出を、目を輝かせて語ってくれた。洗浄便座に驚き、思わず写真に収めたこと。渋谷や原宿で、あこがれの女子高生を目撃し、感激したこと。キティちゃんグッズを手に入れたこと……。

 記者が「また日本に行きたい?」と聞くと、グリザットの表情は少し暗くなった。「行きたいけど、今の給料では暮らしていくのが精いっぱい」。彼女は大学卒業後、母校で日本語の講師になった。キルギスの1人当たりの国民総所得は700㌦(約6万3千円)を上回る程度。彼女ほどの能力があっても、金銭的な余裕はあまりない。

◇平穏な生活暗転

 経済的には貧しくても平穏な暮らしを送っていたキルギスの人々の運命はしかし、今年に入り暗転した。バキエフ大統領(当時)が独裁傾向を強めることに対する国民のデモが4月、激化し、大統領は失脚した。臨時政府が樹立されたが、その際の衝突で、70人以上が死亡した。

 そして6月、南部ジャラルアバドやオシなどで、前大統領に近いとされる一部のキルギス系住民と、新しい政府を支持するとされるウズベク系住民とが衝突した。保健省は約250人が死亡したと発表したが、政府は実際にはその10倍に達するとみている。

 07年の日本語スピーチコンテストで、グリザットは行っていた。「キルギスのような小さな国は、暴動とかテロとか、悪いことしか報道されない。いつまでたっても日常生活が知られることはない」

 彼女の職場は、4月の政変で、デモをしていた市民多数が治安部隊に銃撃され、亡くなった大統領府付近にある。騒乱後、グリザットあてに記者がメールを送っても、きちょうめんな彼女が、いつもならすぐに出してくるはずの返信が来ない。今分かっている連絡先はメールだけ。ほかに安否を知る手だてはない。

 彼女はメールアドレスの一部に、日本語の単語を採り入れている。「genkiyo(元気よ)」と。その通りであることを願うばかりだ。


◇キルギス 旧ソ連の構成国だったが、91年に独立した。国土は日本の半分ほどあるが、人口は約550万人。国民の6~7割ほどをキルギス系が占め、1割強がウズベク系。75%がイスラム教徒。主な産業は農業と牧畜で、国内総生産(GDP)は日本の1千分の1程度しかなく、中央アジア諸国の中でも未開発地域といえる。
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by yupukeccha | 2010-07-02 01:01 | アジア・大洋州  

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