「マツダの街」で起きた悲劇

AERA6月28日(月) 12時22分配信 AERA

──広島市にあるマツダの本社・工場で起きた、無差別殺人事件。「秋葉原事件」との類似が指摘されるが、実際に現場を訪ねると、異なる側面が見えてきた。──

 派遣社員と期間社員の違いはあるが、非正規労働者が車を使って無差別に人をはねた、と聞くと、思い出すのは2008年6月の秋葉原無差別殺傷事件だ。

 6月22日、広島市内のマツダの工場、本社内に車で侵入して12人をはね、うち1人を死亡させた引寺利明容疑者(42)は、警察の調べに自ら、「秋葉原事件をまねて、むちゃくちゃにしようと思った」と話している。

 しかし、『無差別殺人の精神分析』などの著書がある神戸親和女子大学の片田珠美教授は、こう指摘する。

「秋葉原の事件を模倣していることに間違いはないが、秋葉原事件の復讐の対象は『社会』。今回は、『マツダ』という特定の会社が標的になっている」

■「クビ」と「一身上の都合」

 引寺容疑者は、3月に期間社員としてマツダに入社。4月1日から工場で働き始めたが、わずか2週間で退職。実際に働いたのは8日間だ。不思議なのは、退職を巡る引寺容疑者とマツダの言い分が異なることだ。

 引寺容疑者が、「マツダを2カ月前にクビになり、恨みがあった」と供述しているのに、マツダの説明は「『一身上の都合』との文書で退職を告げてきたので受理した」。この認識の「差」はなぜ生じたのか。

 引寺容疑者は、1986年に広島市内の工業高校電気科を卒業。マツダ関連の自動車部品会社に就職している。92年に退職するが、その後も派遣社員として、マツダと取引のある複数の会社で働いていた。

 たとえば08年9月から働き始めたのは、マツダ関連の自動車部品工場。引寺容疑者はその年の5月に自己破産しており、父親によれば、生活保護を受けるほど困窮していた。しかし、リーマン・ショックの影響もあり、この工場での契約は3カ月で打ち切られた。

 事件前日まで派遣社員として働いていたのも、マツダ製品などを扱う広島市内の自動車部品工場。派遣元の会社によれば、引寺容疑者は時給千円の自動車部品製造の仕事に自ら応募し、履歴書には、「自動車の部品製造に関わる仕事をすることが多かった」と経験をアピールする一文が書かれていた。

 面接担当者は非常にポジティブな印象を受けたという。

「3カ月の契約でした。更新もあると伝えると、嬉しそうな表情をしていたのですが……」

 こうして見ていくと、引寺容疑者の人生はマツダと共にあったと言っていい。父もマツダに勤務していた。

■マツダという傘の下

 前出の片田教授は、

「無差別殺人事件の容疑者は自己愛が強く、現実と『イメージする自分』のギャップを受け入れられず、責任を外在化する傾向がある」

 と見る。マツダという大きな傘の下で生きてきた引寺容疑者が、何もかもうまくいかない自分の人生を振り返ったとき、

「怒りの対象をマツダという特定の企業に向けたのではないか」(片田教授)

 前日まで働いた工場の始業は8時。タイムカードに打刻されていたのは7時5分。仕事への意気込みが感じられたという。

 事件当日、始業時間に現れない。その頃、青のマツダ・ファミリアに乗った引寺容疑者は、自ら110番通報していた。

編集部 澤田晃宏
(7月5日号)
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by yupukeccha | 2010-06-28 12:22 | 社会  

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