民族協和の夢、次代へ

2010年06月09日 朝日新聞

 また一つ、「戦争の記憶」に幕が下りた――。日中戦争中、日本が実質統治した「満州国」に最高学府として設立された「満州建国大学」(建大)。卒業生たちは8日に開かれた最後の同窓会で、悩み苦しんだ日々を振り返り、異なる民族が共に理解し合える「夢」を次の世代に託した。(三浦英之)

 最後の同窓会には卒業生のほか、遺族や子女、若手研究者やジャーナリストなどが出席した。藤森孝一・同窓会長(89)は「我々は民族の違いを排除するのではなく、違いを認めるところから始めた。当時の悩みや葛藤(かっとう)を後世の役に立ててほしい」と述べた。韓国同窓会長の金載珍さん(85)は「日本だけでなく、韓国でも中国人同窓生や2世との交流が続いている。平和を作るのは武力ではない。人間が人間を信じることができるかどうか。我々の子どもたちにはその大切さを学んでほしい」と訴えた。

 懇談の場では、卒業生たちが互いに歩み寄り、固い握手を交わしたり、肩をたたき合ったりするだけでなく、若い研究者らと懇談する場面も見られた。

 日系の卒業生らは1953年に同窓会を立ち上げて以降、中国や韓国の卒業生の子どもたちを積極的に受け入れ、学校に通わせたり、就職を斡旋(あっせん)したりする活動を続けてきた。2世たちは93年以降、「建大同窓子女の会」を結成し、これまでに17回の会合を重ねている。

 会の代表で、自らも同窓生を通じて日本に留学し、現在、都内で会社を経営する劉憶銘さん(47)は「留学や就職に尽力してくれた卒業生や、85年に亡くなった父の遺志を継いで日中友好に貢献していきたい」と誓った。

◆キーワード
 満州建国大学 満州国のエリート養成を目的として1938年、首都・新京(現・中国吉林省長春)に設立された。日本人、中国人、朝鮮人、モンゴル人、白系ロシア人から選抜された学生は「塾」と呼ばれる二十数人の寮で約6年間、共同生活を送り、「民族協和」の実践を目指した。

◇理想と現実の溝 悩み続けた存在

 建大や卒業生の研究を続ける国際基督教大学(三鷹市)の宮沢恵理子研究員の話

 建大は満州国の最高学府だったが、実態は日本が創設した大学であり、傀儡(かいらい)(操り人形)国家が内包している様々な問題点を抱えている。一方で、そこで学んだ日本人学生は、日本人のみが優秀民族だと教え込まれていた当時の日本において、民族間に優劣はないことを肌身に感じ、日本政府や建大が掲げる理想と満州国の現実とのギャップに悩み続けたという点で、極めて特異な存在だったと言える。


 卒業生は戦後、互いに親密に交流を続けた。「国際性」という面から見れば、建大の教育が一定の効果を上げたことは事実。各国間の交流が求められる現代、建大の歴史と教訓を未来にしっかりと語り継ぐ必要性がある。


◇卒業生らの声を伝えていく課題

 満州国の歴史に詳しい山室信一・京都大教授(思想史)の話 日本の近代史では日本列島だけを問題にしがちだが、1895年以降、日本は台湾を領有し、韓国を併合し、満州を統治した。それらが一体となったのが近代日本の姿であり、それぞれの要素が集約され、当時の日本の縮図と呼べるような場所が建大だった。


 戦後の日本では、植民地における加害的な事実が明らかになる一方、「旧満州の植民地化は現地の近代化に役立った」などという主張もなされた。80年代まで、建大の卒業生があまり発言できない空気があり、バランスの取れた歴史認識がなされなかった。建大の卒業生の声があれば、満州国に対する認識も変わったのではないかという思いがある。彼らの声をいかに後世に伝えていくのかが課題だ。
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by yupukeccha | 2010-06-09 06:00 | アジア・大洋州  

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