記者の目:タイ首都占拠の元首相派排除=西尾英之

2010年5月27日0時06分 毎日新聞

 やっと終わった。それが実感だ。毎日新聞アジア総局は、タイのタクシン元首相派「反独裁民主戦線」(UDD)が占拠したバンコク都心部の交差点から200メートル。軍が実力行使に乗り出しUDDが反撃すれば、総局前は戦場となる。4月3日の占拠開始以降、軍の強制排除の可能性が強まるたびに、私は周囲のビルの屋上に狙撃兵がいないかを確かめる癖がついた。ガラスを破って銃弾や爆発物が飛び込んでこないか、神経をすり減らす1カ月半を過ごした。

 最も生きた心地がしなかったのは、総局前の通りに座り込んだ占拠参加者たちのはずだ。強制排除前日の5月18日午後、軍用機が飛来し拡声機で即時退去を警告した。その途端、地上からUDD自警団の手製ロケット弾が一斉に火を噴いた。数十分続いた激しい攻撃の中、幼児を抱えた女性や高齢者はパニック状態でビルへ逃げ込み、言葉も通じない外国人の私にまですがりついて助けを求めた。

 ◇ぎりぎりの自制、最悪の犠牲回避

 軍は19日早朝、占拠地域の南側から強制排除に着手したが、女性や高齢者が集中する中心部まで一気に突入はせず、UDDは同日昼過ぎ「これ以上の犠牲者拡大を防ぐため」と占拠終結を宣言。一部が暴徒化して放火を繰り返したが、軍の突入で女性や子供、高齢者ら占拠参加者に多数の死者が出るという最悪の事態だけは、双方の「ぎりぎりの自制」で回避された形だ。

 都心部を占拠した人たちは高級デパートやホテルが建ち並ぶバンコクの目抜き通りに農村の暮らしをそのまま持ち込んだ。テントの下で家族で食事を取り、路上の消火栓から引いた水道で水浴びし、夜は蚊帳をつってごろ寝した。

 これに対し、都心部の住人であるバンコクのエリート層は嫌悪感をあらわにした。最大のビジネス街シーロム通り入り口で、タイヤと竹で築いたUDDのバリケードに対峙(たいじ)した地元市民グループは、UDDの人々に向かって「クワーイ(水牛)!」と叫び挑発し続けた。「学のない田舎者」「間抜け」といったあざけりの意味だ。この国を支配してきた都市エリートは、地方の貧しい農民をそう呼び、「彼ら(農民)はカネ次第で誰にでも投票する。選挙権を与える必要はない」と言い切る人すらいる。

 新興勢力のタクシン氏は首相当時、農民を優遇する政策を進め、05年の総選挙で圧勝。これが既存の支配層には既得権益を脅かす動きと映り、タクシン氏を追放した06年のクーデターにつながった。

 ◇農民層が目覚め過去には戻れぬ

 タクシン派と反タクシン派の対立の本質は、国を支配してきた少数の都市エリート層と、タクシン政権下の優遇政策で政治的に目覚め始めた多数派の地方農民層の激しい支配権争いだ。死者88人、負傷者1900人近くを出した今回の衝突で、双方の溝は一層深まった。今後も衝突が繰り返されれば、「内戦の危機」が現実味を帯びる。

 いずれアピシット首相は議会解散、総選挙に踏み切らざるを得ない。そこで農民層が勝利して政権を握れば、今度は反タクシン派が街頭での反政府行動に乗り出すとの見方が強い。それでは、クーデター後の総選挙でタクシン派が勝利し、反タクシン派が首相府や空港などを占拠した08年の状況を繰り返すだけだ。

 国王による仲裁や軍部によるクーデターといった、これまで対立を抑え込んできた「タイ式民主主義」がすでに機能しないことは、今回の衝突が証明した。対立解消の唯一の道は、民主主義の原則に従い、総選挙の結果を「民意」として国民全体が受け入れる以外にない。

 農民側への注文もある。タクシン氏は汚職事件で2年の実刑判決を受け、収監を避けるために国外へ逃亡中だ。もし復権を望むなら、帰国して刑に服すのが先だ。反タクシン派が、総選挙結果が意に反するものであっても受け入れなければならないのと同様、タクシン派も司法という民主主義のシステムを尊重する必要がある。

 総局前の通りにUDDが残したゴミは片付けられ、歩道には洗練されたバンコク市民が戻ってきた。農民たちの占拠が夢の中の出来事のようだ。だが目の前には、放火で一部倒壊した巨大ショッピングセンターが無残な傷口をさらし、すべてが現実だったことを思い知らされる。

 対立はタイが「普通の民主主義の国」へと脱皮する生みの苦しみだと信じたい。そのためには双方が互いを認め、譲歩し合うしか道はない。(アジア総局)
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by yupukeccha | 2010-05-27 00:06 | アジア・大洋州  

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