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クジラ、マグロ保護を叫ぶ欧米人の独善

「知能が高い生物ほど命の価値が重い」という論理こそ傲慢だ2010年5月17日 SAPIO

文=秋道智彌(総合地球環境学研究所副所長)

捕鯨船に対して過激な妨害工作を行なうシー・シェパードを豪政府は野放しにし、むしろ捕鯨をする日本が悪い、という論調すらある。一方でワシントン条約締約国会議で否決されたものの、大西洋地中海産クロマグロの禁輸提案がなされるなど、日本の漁業は世界からのいわれなき攻撃に晒されている。だが、クジラもマグロも捕獲に反対している国の論は非常に乱暴だ。そこには彼らの差別意識も透けて見える。

ミンククジラの個体数は増えている

 捕鯨反対派が根拠としている「クジラは絶滅の危機に瀕している」という論は大雑把すぎる。確かにシロナガスクジラ、ザトウクジラ、セミクジラの資源量は低いレベルまで減ってきているが、絶滅に瀕しているのではない。その一方で日本が調査捕鯨で獲っているミンククジラは絶滅どころか増え過ぎている。南氷洋だけで76万頭もいるというデータがある。そしてミンククジラもシロナガスクジラも主にオキアミを食べる。つまり、ミンククジラが増え過ぎると、むしろシロナガスクジラの生存はますます難しくなる。

 1982年に国際捕鯨委員会(IWC)において商業捕鯨のモラトリアムが可決された。この時、IWCの科学委員会は、北太平洋、北大西洋におけるミンククジラと南極海のクロミンククジラ、北太平洋のニタリクジラ、北大西洋のナガスクジラはいずれも捕獲してもよい良好なレベルにあるとの勧告を提示していた。にもかかわらず、勧告は無視され、モラトリアムは可決されたのだ。しかも、モラトリアム条文には附帯事項があり、90年までにモラトリアムの実施がクジラの頭数にどう影響するのか評価し、規定の修正や捕獲可能な頭数の検討を行なう、という内容だったが、それも無視されたままだ。

 そもそもこのモラトリアムは商業捕鯨のみを対象としていた。アラスカの先住民やカナダのイヌイットなど、極北地域で鯨肉を食べて生きている先住民については「生存捕鯨」が認められている。つまり、鯨肉や鯨油を売って利益を得るのは許されないが、生きるために食料として消費することは許される、という理屈だ。しかし、先住民らは昔から鯨肉を物々交換の「財」として利用してきたし、一方で日本の捕鯨も地域経済の発展と生活維持のためのものであり、「生存捕鯨」との線引きは極めてあいまいだ。乱獲はよくないが、商業捕鯨そのものが悪いわけではない。

 捕鯨反対のアメリカは、かつて鯨油目当てで乱獲を行ない、コククジラ、ホッキョククジラ、セミクジラなどを激減させた。そのアメリカが自国の先住民には捕鯨を認め、日本には認めない。それを区別する論理として生存捕鯨、商業捕鯨という不可思議な概念を持ち出したのだ。IWCはこの「生存対商業」という枠組みから抜け出せずにいる。

 事態をよりややこしくしているのが調査捕鯨である。調査捕鯨は国際捕鯨取締条約によって認められており、クジラの生態、個体数の調査のために一定の枠が設けられている。しかし捕鯨反対派はそれも許せない。日本は調査捕鯨を隠れ蓑に事実上の商業捕鯨をしている、という批判もある。そうした国際世論は真摯に聞くべきだろう。しかし、調査捕鯨で獲っているのは増えすぎたミンククジラである。少なくとも乱獲ではない。

 ただ、調査捕鯨については反対派から「調査捕鯨に意味があるのか」「殺さなくても調査できるのではないか」といった批判が上がっているので、きちんとした科学的データ、成果を提示していくべきだ。

「イルカ裁判」で飛び出した仰天主張

 個体数の問題とは別に、90年代前半から捕鯨反対派の間で「クジラの知能は高く、殺すのは残虐で非人道的だ」という主張が増えてきた。そもそも「知能が高い生物ほど命の価値が重い」とは驚くべき傲慢な論理だが、その議論にお付き合いするとしても、彼らの主張は間違っている。例えばマッコウクジラは世界最大の脳を持つが、それと知能は関係ない。またコミュニケーションで音波を出して相手の場所を確認するが、これは海中に適応した行動様式であって、頭がいい、という話とは違う。

 他にもザトウクジラは歌を唄うとか、コククジラは人なつっこいとか、イルカはキューキュー鳴く様が可愛いとか、鯨種によってそれぞれ特徴、性質を持っている。あたかもクジラがそれらすべてを兼ね備えているかのような言説、いわゆる「スーパー・ホエール論」には要注意だ。実際にそんなクジラは存在しない。

 もう1つ、捕鯨反対派の特徴的な価値観がある。

 80年に長崎県壱岐島でアメリカの環境保護団体の青年が、イルカの入っている網生け簀を切断して逃がし、裁判になった。原告の日本側から、クジラやイルカを殺すことを批判しながら、あなた達は牛や豚を殺しているではないか、という主張があった。ところが、それに対して弁護人側からは「クジラやイルカは野生動物だが、牛や豚は家畜であり人間が管理しているから殺しても構わない」という反論があった。おそらく野生動物は神の所有物であり、家畜は人間の所有物だと言いたいのだろう。これまた恐ろしい価値観の押し付けだ。日本人は仏教の影響でクジラを殺したら位牌を作ったり、供養したりする習慣がある。これは食べたことに対する感謝と憐憫の気持ちであり、人間の自然との関わりの原点だ。捕鯨反対派は、世界中のさまざまな文化を理解しようとしない野蛮人なのだろうか。

 考えたくはないが、捕鯨反対の裏にはドス黒い日本人差別感情さえ感じられる。かつて太平洋戦争をひきおこし、エコノミックアニマルで、有色人種なのに先進工業国になった……。欧米人には、いまだに異質で脅威を与える存在なのかもしれない。

 そうでもなければ、シー・シェパードが「テロ」を行なってもオーストラリアで英雄視され、首相が日本に対して謝りもしないというのは異常である。野生動物を殺してはいけない、と言うならオーストラリアは野生のカンガルーを獲ってはいけない。彼らは捕鯨に反対しながら、その一方でカンガルーを大量に殺している。

クロマグロ禁輸の危機にバカ騒ぎしたテレビ

 大西洋、地中海のクロマグロについては確かに資源量が減少している。絶滅が危惧される。まだ小さいマグロを捕獲し、それを畜養して大きくして日本に輸出しているので、小さいマグロを獲りすぎている。そういう意味では確かに資源が危ない。

 しかし、ならば問題点を改善して適正に管理すればよいのであって、いきなりワシントン条約締約国会議にかけるようなやり方は違うのではないか。

 マグロは回遊魚で北太平洋、北大西洋、地中海などの海洋別に分布している。本来はそうした海洋別に資源を管理する方策を考えるべきだ。実際、マグロ類の資源管理については世界で5つの国際的な資源管理機関がある。

 単に獲りすぎたから規制するというのではなく、世界の資源配分という観点で議論することこそ大事だ。この議論で積極的に発言できる論理を日本側はもっと用意しなくてはならない。そうでないと、ここでも「生物多様性を守ろう」「知能が高いから殺してはいけない」などの嘘か本当かわからない俗説がまかり通るようになるだろう。ちなみに生物多様性がなぜ重要であるのかについては十分に納得できる説明がなく、専門家の間でもいろいろな見解がある。

 クロマグロについては、今回は中国やアフリカ諸国が反対した。最近では中国もマグロを食べるようになり、アフリカの発展途上国には漁業で生活している人が多い、という事情が日本に有利に働いたのかもしれない。ただ、今回禁輸が見送られたからといって安心せずに対策を練る必要がある。今後、太平洋のクロマグロやインド洋のキハダマグロなどが次々と規制の対象になる可能性は低くない。日本の水産庁や外務省などが連携してオーシャン・レジーム(海洋秩序)の国家的戦略を持たなくてはいけない。

 いくつか苦言を呈するとすれば、日本人のブランド好きは改めるべきだろう。何でもマグロをありがたがるのはおかしいし、もっと地魚を食べてもいい。本来はメディアがそういった考えを提言しなくてはいけないのに、クロマグロ禁輸の時にテレビは「トロの値段が高い」とか「大間のマグロがいい」とかそんな話ばかりになっていた。回遊魚なのだから、どこで獲っても味はそれほど変わらないのに、むしろメディアが日本人を“マグロ教”にしている。

 日本政府も日本人も、世界の詭弁を排除する正しい知識を持ち、冷静な態度で臨むことが必要だろう。

by yupukeccha | 2010-05-17 17:43 | 社会  

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